ローカル鉄道の時間旅行
杉森涼
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あの白銀の嶺に向って
富士急行歩き旅


 富士山に一番近い鉄道と言われるのが富士急行で、中央本線の大月駅から河口湖駅までの26.6kmを結んでいる。大月駅の標高は358m、終点の河口湖駅は857mで、富士山へ向かって約500mの標高差を登っていく山岳路線でもある。
 私は富士山が見える山に登るのが好きで、この路線をよく利用しているのだが、それは山に行くのが目的であって、沿線には何があるのか、どのような風景なのかはあまり知らない。
 そこで今回は富士急の全線26.6kmを富士山を眺めながらゆっくりと歩いてみようと思う。1日では厳しそうなので2日間の予定にしている。


富士山とフジサン特急

 2014年12月。
 高尾に着くと6時14分発の松本行きの普通列車が出発を待っている。松本行きという行先を見ると旅情を感じてしまうが、私は6時01分発の大月行きに乗る。こちらは都心を走っている通勤型の電車で車内に乗客はほとんどなくガラガラだ。
 発車してもまだ日の出前で外は暗く、聞こえるのは電車の走行音だけで時が止まっているように感じる。東京都から神奈川県、藤野をすぎると山梨県に入り、上野原、四方津、梁川、鳥沢とすぎていく。上りのホームには都心への通勤客が寒さに震えながら電車を待っている。
 空が薄明るくなって6時38分に大月に着いた。いつもは6時53分発の富士急に乗り換えるのだが、今日は沿線を歩いて行く。富士山を眺めながら三つ峠までの約16kmを歩こうと思っている。
 戦国時代に武田氏の城が建っていたという標高634mの岩殿山がJRの駅舎を覆うように見え、その左に富士急の駅舎があり、入口には赤い鳥居が立っている。
 側線に停まっているフジサン特急の車両を見て、線路沿いを歩きだす。次の上大月駅までは600mと近く、集落を抜けていくとすぐに着いた。跨線橋から歩道を下ったところにホームがあるだけの取って付けたような簡素な駅である。ちょうど河口湖行きの電車がきて、何人か高校生を拾っていった。
 電車は駅のすぐ先でトンネルというか、暗渠のようなところに入って見えなくなった。富士急はここから国道139号線(富士みち)に沿っているので、私も主にこの道を富士山へ向かって南西へ、南西へと歩くことになる。国道139号線は静岡県の富士市から東京都の奥多摩へ通じていて全長134kmあるらしい。


上大月駅

 上大月駅を出ると右に富士山が見え、1kmほど歩くと大月市から都留市に入る。国道沿いには店が立ち並んでいて意外だが市街地の雰囲気だ。交通量がとても多くの排気ガスで煙い。この辺りは線路が国道と離れていて見えなかったが、やがて標識が現れて田野倉駅に7時25分に着いた。
 田野倉駅には秀麗富嶽十二景に指定されている高川山や九鬼山に登ったときに来たことがある。一軒家のような駅舎に通学の高校生が入っていく。太陽は山に隠れていて薄暗く、改札口の蛍光灯が煌々と光っている。
 田野倉から国道と離れて線路沿いを歩いて行くと小さな川が流れていて朝の空気が清々しい。再び喧騒の国道歩きになると、リニアモーターカーの実験線の高架をくぐる。その奥には富士山が見える。リニアモーターカーが開業すれば、この実験線は本線として使われ、東京から名古屋が45分、大阪まで1時間で結ばれるという。夢のような乗り物だが、果たして生きているうちに乗れるのだろうか。
 すぐ先で富士急の高架をくぐると朝日川を渡る。左には桂川の水を発電所に引くために1907年(明治40年)に建設されたという長さ56mのレンガ造りの水路橋が見える。なかなか美しい建築物だと思う。
 水路橋から10分たらずで禾生(かせい)駅に着いた。小さなかわいらしい駅舎が建っている。電車に乗っていると「次は火星、次は火星です」という車掌のアナウンスがあり、初めて乗ったときには、なんだっと勘違いさせられる駅である。
 禾生からは国道と中央自動車道の間の道を歩く。田んぼが広がる長閑な道で、富士山を背景に大月行きの電車がやってきた。富士山からは雪煙のようなものが上がっている。


富士山と6000系

 中央道沿いを1kmほど歩いて保寿院という寺をすぎると、富士みちに出たところに生出神社が建っている。交通量の激しい富士みちを300mほど歩くと赤坂駅に着いた。
 東京の赤坂とは真逆の寂しい無人駅だが、駅前にはマクドナルドのドライブスルーがあったりしてよく分からない駅だ。この駅には道志二十六夜山へ登るなどで何度か来ていて、山の麓まで行くと芭蕉月待ちの湯という名前に惹かれる温泉がある。
 赤坂駅から1.5kmほど歩くと都留市駅に着く。駅前は広いが閑散としていてバスの車庫がある程度である。時計塔というのか分からないが8時42分を表示していた。
 都留市駅から寂しい商店街を歩き、電車が来る時刻なので線路沿いの小さな神社に立ち寄ってみる。少し待つとJRから直通の河口湖行きがやってきた。昔の横須賀線の車両である。横須賀線の色で海でなく山を走るので、山スカというらしい。
 住宅地の道を歩いて都留市役所をすぎると谷村町駅である。泰安温泉という銭湯があり、普門寺などをすぎるとフジサン特急がやってきた。
 フジサン特急には2種類あって、2012年まで新宿から御殿場を経由して沼津まで走っていた小田急20000形と2001年までJR東日本が保有していたパノラマエクスプレスアルプスという車両である。
 今やってきたのはパノラマエクスプレスアルプスの方で前面が展望車になっている。車体には富士山のキャラクターが落書きのようにたくさん描かれて可愛らしいのだが、車両のフォルムは丸みがなく武骨でひと昔前の感じだ。
 富士みちから公園を抜けていくと、9時15分に都留文科大学前駅に着いた。フジサン特急の停車駅は大月を出ると終点の河口湖の間に、都留文科大学前、下吉田、富士山、富士急ハイランドの4つである。なので、ここが都留市の中心駅で新しい町並みではあるが、ちょっとした住宅地の雰囲気で市街地の活気はない。
 都留文科大学前駅から国道に出ると、桂川を渡る橋から田原の滝が見える。松尾芭蕉が「勢ひあり 氷消えては 瀧津魚」と詠んだ滝である。この日は水が少なかったが、水量が多い日は迫力がありそうだ。


田原の滝

 ここまではほぼ平坦な感じだったが、徐々に傾斜が増してきた。上り坂の途中に標識があり、細い道を入っていくと十日市場駅が寂しく佇んでいる。山懐の駅舎のない無人駅だが、昔は市が開かれて賑やかだったのだろうか。ホームに立つとこの路線で最も秘境駅感があり、線路は標高1785mの三ツ峠山へ向かって延びている。
 次の東桂駅へ国道を歩いて行くと、正面に見える三ツ峠山がだんだんと大きくなってきて、銀行やレストラン、スイーツ店などが現れると東桂駅に着いた。小さな駅舎のこじんまりとした駅である。
 東桂駅から三つ峠駅までは2.7kmと長い。都留市から西桂町に入ると富士山の眺めがよくなって、河口湖行きのフジサン特急が通過していった。展望車は富士山が見える河口湖側にしか付いていないので、富士山との写真は平べったい顔になってしまうのが難点である。続いて上りの富士登山電車という車両がやってきた。こちらはレトロな焦茶色をしている。
 しばらく田園風景を見ながら歩くと、10時40分に三つ峠駅に着いた。駅舎の上には名前のとおり、三ツ峠山の3つの峰が聳えている。6年前にここから三ツ峠山に登って、河口湖まで歩いたことがあるのだが、つい最近のように感じる。時間が経つのは早いものだ。
 大月からここまで15.8kmを歩き、河口湖まではあと10.8kmなので行けないこともないが、この先はゆっくり散策したい場所もあるので、明日また来ることにする。「今日できることは今日中にやる」のもよいが、「明日できることは今日やらない」のもよい。
 ちょうど、大月行きのトーマスランド号が行ったばかりなので、近くで少し早いランチをして次の電車を待った。


三つ峠駅

 昨日と同じ電車で再び大月にやってきた。1番線には6時53分発の河口湖行きの普通電車、隣の側線にはフジサン特急が車体を休ませている。青いカラーリングの電車に乗って、まずは三つ峠へ向かう。
 乗車率50%くらいになって発車すると、駅ごとに高校生が乗ってきてほぼ席が埋まった。昨日歩いた道や富士山を車窓で眺めながら約30分、三つ峠に着いた。今日も快晴である。
 国道に出るとすぐ西桂町から富士吉田市に入る。晴れた日の朝は放射冷却で寒く、硬くてコシが非常に強い熱々の吉田うどんが食べたいなぁと思いながら歩いていく。
 三つ峠駅と寿駅の間には、富士急で屈指の撮影ポイントの「がんじゃ踏切」があるのだが、何ということか、下調べが甘く見逃してしまった。なんじゃという感じだ。一番上に表示している写真がその場所で、これはその後の3月、登山に来た際に撮ったものである。近くには国天然記念物の山ノ神のフジがあり、5月に花を咲かせると通りすがりの地元の人が教えてくれた。
 富士山を眺めながら登校する小学生たちといっしょに線路沿いを歩いていく。田舎の小学生は知らない私などにも挨拶をしてくれて気持ちがよい。国道に出ると8時前に寿駅に着いた。縁起がよい駅名だが、駅舎はなく簡素な改札口があるだけの幸薄そうな駅であった。
 田園から徐々に住宅地が増えはじめ、15分ほど歩くと葭池(よしいけ)温泉前というこちらも簡素な駅に着く。駅の奥へ入っていくと一軒家の温泉があって、テレビの旅番組でスピードスケートのオリンピック金メダリスト・清水宏保さんが入っているのを見たことがある。そう言えば、銅メダリストの橋本聖子さんと岡崎朋美さんは富士急所属の選手だったなぁと思い出した。
 住宅街を1kmほど歩くと下吉田に着いた。とくに何もないように感じるが、フジサン特急が停車するのは新倉山浅間公園の忠霊塔が近くの山の上に建っているからだろう。忠霊塔とは富士山と五重塔が一緒に撮れる有名なスポットで、とくに外国人に大人気だ。駅前には西鹿児島行き・寝台特急富士のブルートレインテラスがある。空が青く清々しい。
 下吉田から次の月江寺の駅間は800mと近くすぐに着いた。片面のホームの上に富士山が大きく覆い被さっている駅だ。
 そろそろ上りのフジサン特急がやってくる時刻なので、富士山が見える線路沿いで待つ。写真を撮って裏道を歩くと富士山駅に9時10分に着いた。もとは富士吉田駅であったが、2011年に富士山駅に改称、同時に駅を改装。「キュースタ」という名前の6階建ての駅ビルで入口には赤い鳥居が建っている。


富士山とフジサン特急

 電車は富士山駅でスイッチバックして北西の河口湖駅へ向かう。スイッチバックになっているのは、かつて南東の御殿場まで馬車鉄道が通じていたからだという。
 終点の河口湖まではあと3kmだが、北口本宮富士浅間神社へ寄り道しようと思う。金鳥居をくぐると富士山に向かって緩やかな登りの直線が1.5kmほど続き、とても長く感じる。
 直線道路の突き当たりを左折すると、吉田口登山道の基点である北口本宮富士浅間神社に着いた。杉並木の参道を歩いていくと拝殿前には樹齢1000年という大スギがあり、山梨県の天然記念物になっている。観光客で賑わっているのかと思っていたが、参拝者はわずかで静寂に包まれて厳かな雰囲気であった。
 しばらく境内を散策してから富士山駅に戻り、終点の河口湖駅を目指して「御坂みち」と呼ばれる国道137号線を歩いていく。富士急の跨線橋を上ると、富士急ハイランドのジェットコースターや観覧車が見えてきた。
 大きな富士急ハイランドの構造物の脇に、ホーム一面の小さな富士急ハイランド駅が申し訳なさそうにちょこんとあった。みんな富士急ハイランドには電車など利用せずに、速くて安い高速バスで来るのだろう。
 中央道をくぐって富士吉田市から富士河口湖町に入ると、開業当時の車両というモ1号が見えて、10時40分に河口湖駅に着いた。レトロな駅舎の上に富士山が見え、側線にフジサン特急が停まっている。駅舎内はカフェや土産物屋があり、外国人観光客でとても混雑していた。


河口湖駅

 大月行きの電車に乗って途中下車、さきほど下吉田駅近くで目に入った吉田うどんの店で食事をして、2日間かけて歩いてきた道を眺めながら帰途についた。


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