単線なので速度は遅いが、商店街を走る路面区間があったり、民家の軒先をかすめたり、古き良き懐かしさを感じさせてくれる。海岸沿いからは富士山も望め、絵になる路線だ。
それでは江ノ電に乗って鎌倉へ、途中下車しながら紫陽花と歴史を辿ることにしよう。
江ノ電と紫陽花
藤沢から江ノ島へ
江ノ電の起点は、東海道線や小田急線が乗り入れる藤沢駅。終点の鎌倉駅までちょうど10kmを約37分かけて走る長閑な路線だ。南口に出ると、バスターミナルの向こう側に建つ小田急百貨店の2階にホームがある。江ノ電沿線を見て歩くには、「のりおりくん」という一日乗車券(フリーパス)を購入するとよい。
藤沢駅
ベルが鳴って藤沢を出発すると2階のホームから地平に下っていく。
最初の駅は石上で、路面電車の電停のような駅である。その石上をすぎると線路沿いにちょっとしたお花畑があり、色とりどりの紫陽花が咲いている。この先、期待できそうだ。
因みに、左上に向いた2.1と記された標識は2.1パーミル(‰)のことで、1000m進むと2.1m上がることを意味する。
鎌倉行き電車の運転手から見ると右下の向きに2.1と表示されているので、1000m進むと2.1m下がる勾配になっている。つまりは海へ向かって緩やかに下っていく訳だ。
石上駅近くの紫陽花
江ノ島の一つ手前の湘南海岸公園駅をすぎるとすぐ、線路沿いに立派な門構えの古民家カフェがあり、ここにも紫陽花が咲いている。
鎌倉は有名観光地で家賃が高く、流行らなければ店を閉めなければならないので、店に関しては流動的だ。
前に訪れた店が閉店していることあって寂しいのだが、逆に新しく開店した店もたくさんある。まだあまり知られていないカフェなどを探すのもおもしろい。
湘南海岸公園駅近くの紫陽花
石上から柳小路、鵠沼、湘南海岸公園と住宅街の3つの駅をすぎると、最初の主要駅の江ノ島に着く。駅名は江ノ島だが、島からは1kmほど離れている。
まずはここで途中下車して、次の腰越駅まで歩いてみよう。
江ノ島駅
改札を出て踏切を渡ると、湘南モノレールの湘南江の島駅があり、懸垂式と呼ばれる宙吊りのモノレールが大船駅とを結んでいる。
道路の上空を走行して、山あり谷あり、海や富士山がチラリと見えたりするので、大船からモノレールに乗ってくるのも面白い。
湘南江の島駅の5階はルーフテラスになっていて、こちらも富士山や相模湾を見渡せる。
湘南モノレール
さて、江ノ島駅から線路に沿って歩いていくと龍口寺が建っている。5代執権・北条時頼に立正安国論を呈上して鎌倉幕府の怒りを買った日蓮が処刑されるはずだった場所である。
龍口寺には斬首をまぬがれた日蓮にあやかって、クビにならないようにとサラリーマンが参拝するという。
龍口寺
龍口寺の向かいには扇屋という和菓子店があり、古い車両の一部が鎮座していて、屋根にはパンタグラフが乗っている。
電車の形をした「江ノ電もなか」が名物で、魚の形の「ひものサブレー」なんてのもある。
江ノ電もなか
江ノ島から鎌倉高校前へ
踏切の鐘の音が聞こえてくると、龍口寺の前で江ノ電は道路に出て、狭い商店街の中央を行く。海産物などを売る店が並び、電車が来ると車は脇に避けるので、救急車が来たような光景になる。江ノ電は2023年3月にダイヤ改正が行われ、毎時12分間隔から14分間隔の運行に変更された。
コロナが収束したことによる観光客の増加などに対応するのもあるが、この路面区間の渋滞での遅れが一番の要因らしい。
路面区間
500mほどで路面区間が終わると腰越駅に着く。
四両編成のときは先頭車両がホームからはみ出してしまう片面の狭くて小さな駅だ。
腰越駅
腰越駅の先には満福寺が建っているので、行ってみよう。義経が兄頼朝に和解を申し入れるために送った腰越状で知られる寺で、踏切を渡って石段を上がると弁慶の腰掛石や手玉石がある。
本堂に入ると、ガラスケースの中に腰越状が展示されているが、これは下書きの写しと伝えられる。
達筆な文面には、兄頼朝のために戦ったのになぜこんな仕打ちを受けなければならないのか、といったようなことが書かれているらしい。
満福寺
腰越駅に戻り、江ノ電に乗って先へ進む。狭っ苦しい住宅街の中を右に左にカーブしながら、ゆっくりと走る。線路に車輪をこする音が響く。民家の軒をかすめるので、窓が開いていると部屋の中が丸見えだ。
満福寺の前を通過すると、前方がパッと開けて碧い水平線が目に飛び込んでくる。七里ヶ浜に出ると鎌倉高校前駅に着く。眼前に湘南の海を見渡せる人気の駅である。海水浴にはまだ早いが、海はサーファーで賑わっている。
鎌倉高校前駅
鎌倉高校前駅は映画やドラマで知られ、駅前にはアニメ「スラムダンク」に登場する踏切もある。
踏切の前は大勢の観光客で溢れていて、最近は外国人がとても多い。
スラムダンクの踏切
鎌倉高校前から稲村ヶ崎へ
鎌倉高校前を発車すると、峰ヶ原信号場で上りと下りの列車がすれ違う。江ノ電は単線で14分間隔の運行なので、7分毎に上りと下りがすれ違う訳だ。峰ヶ原信号場は江ノ島駅から7分の地点に位置し、さらに7分進んだ稲村ヶ崎駅、さらに7分の長谷駅で上下列車の交換が行われる。
峰ヶ原信号場
この峰ヶ原信号場の辺りは振り返ると富士山の眺めがよい。藤沢から乗ってきて初めて本格的に富士山が望めるポイントである。
梅雨の時期は富士山の見える確率はかなり低く、晴れていても見えないことが多いのだが、逆に曇っているのに見えることが稀にあったりする。富士山の女神様は気まぐれだ。
富士山
江ノ電はいったん海から離れ、住宅地に入っていくと七里ヶ浜駅に着く。
途中、線路と車道の仕切りがなく、線路上を横切って玄関に入る家も多い。軒下には紫陽花が咲いていたりして長閑な雰囲気が漂う。
七里ヶ浜の住宅地
再び海沿いに出て、右に稲村ヶ崎の断崖が見えてくると、この辺りも富士山の眺めがよい。
江ノ電の車窓からの富士山と海の景色は、ここで見納めだ。住宅地に入って稲村ヶ崎駅に到着。
富士山
稲村ヶ崎駅でも途中下車してみよう。
海への道を歩いていくと、新田義貞軍の先鋒隊が討死したという十一人塚があり、すぐ先の国道134号線を渡ると稲村ヶ崎だ。
稲村ヶ崎
義貞軍が鎌倉幕府討伐のために、稲村ヶ崎を突破したのが1333年5月21日未明。断崖なので歩いて通れる岬ではないが、義貞は干潮になる時刻を知っていたと言われる。
翌22日には第14代執権・北条高時らが自害して鎌倉幕府は滅亡した。稲村ヶ崎は富士山と夕日の展望台で、紫陽花もたくさん咲いている。
富士山と紫陽花
稲村ヶ崎から極楽寺・長谷へ
稲村ヶ崎駅に戻り、次の極楽寺駅へ向かう。極楽寺は切通しにある駅で、下車すると心なしかヒンヤリしている。山の中に来た雰囲気で緑も濃い。サザンオールスターズの曲に極楽寺坂みどり、という歌詞がある。極楽寺から長谷へは見所が多いので歩いて行こう。
極楽寺駅
赤いポストがある駅前から坂を登っていくと、線路に赤い桜橋が架かっている。
その桜橋を渡ると極楽寺が建っていて、茅葺の山門前には赤や青の紫陽花が咲いていて対照が美しい。
極楽寺
江ノ電は極楽寺から長谷へ、全長200mの極楽寺トンネルをくぐる。極楽寺トンネルが開通したのは明治40年、江ノ電で唯一のトンネルである。
当初は海沿いの長谷でなく、山沿いの大仏裏から鎌倉市街へのルートが計画されたそうだが、用地買収が上手くいかなかったらしい。
極楽寺トンネル
鎌倉時代、三方を山に囲まれている鎌倉の中心部へは、山の鞍部を切り開いて七つの道が整備された。
これを七切通しと呼び、防衛の要衝にもなっていたのだが、そのうちの一つがこの極楽寺坂切通しである。かつては斜度が30度もあり、義貞の鎌倉攻めでは激戦地になったという。
極楽寺坂切通し、右は成就院
極楽寺トンネルを見下ろして、極楽寺坂を下っていくと、左右が崖になっていて、右の高みが成就院である。
成就院は紫陽花の名所で、煩悩と同じ108段の石段の参道からは由比ヶ浜を見下ろせて展望もよい。
紫陽花が咲く成就院の参道
極楽寺坂が緩むと、江戸時代から300年以上続く力餅屋が建っている。かつての旅人は極楽寺坂を越えたここで休憩したのだろう。
名物の権五郎力餅は、後三年の役で源義家(頼朝の祖先)に従軍して活躍した鎌倉権五郎景政に由来する。
力餅屋
力餅屋の脇の細い道に入っていくと、踏切の先に御霊神社(権五郎神社)が建っており、景政を祭っている。踏切前はトンネルから出てくる江ノ電と紫陽花の撮影スポットだ。
御霊神社の境内には、景政が手玉に取り袂に入れたという約60kgの袂石、約105kgの手玉石などが安置されている。なるほど、景政は力餅・・・力持ちだったのだ。
江ノ電と紫陽花
ところで、極楽寺トンネルを抜けてから長谷駅までは、住宅街の線路沿いに紫陽花がたくさん植えられている区間である。色とりどりな紫陽花の綺麗な車窓が流れていくので、この区間を往復するのもおすすめだ。
写真は昭和30年代につくられた300形という古い車両で、床は年季が入った板張り。1編成のみ走っていて、江ノ電で最も人気がある。
昭和ノスタルジーに浸れるので、この車両が来たらぜひ乗ってみるとよい。
長谷駅へ向かう江ノ電
さて、御霊神社の境内を抜けて住宅街を歩いていくと通りに出て、左に行けば長谷寺や大仏、右に行けば長谷駅である。
長谷寺は736年創建と伝えられる古刹。紫陽花の時期は、8時の開門前から行列ができている。できるだけ早い時間に拝観するとよいだろう。
長谷寺
赤い提灯が下がる山門をくぐると、ハナショウブの筏が浮かぶ放生池が広がっている。
順路にしたがって石段を上がり、阿弥陀堂と観音堂を拝観しよう。
ハナショウブ
阿弥陀堂の本尊は、源頼朝が42歳の厄除けのために建立したといわれる厄除阿弥陀。
観音堂には、高さ9.18mという木像では日本最大級の十一面観音像が安置されていて、その大きさに圧倒される。
観音堂
この時期の目玉は観音堂の左手の斜面に広がる「あじさい路」で、約2500株の紫陽花が咲く。
あじさい鑑賞には、拝観料のほかに、あじさい入場券の購入が必要で、番号順の入場となる。混雑しそうな場合は時間が指定される。
あじさい路
あじさい路からは眼下に由比ヶ浜を見渡せ、天気がよければ三浦半島や城ヶ島、伊豆大島も見える立地なのだが、梅雨の時期は曇っているほうがよい気がしないでもない。
由比ヶ浜を見下ろす
長谷寺から通りに戻り、北へ300mほど行けば鎌倉観光に欠かせない大仏の高徳院が建っているので、時間があれば行ってみよう。
大仏は1252年に鋳造されて鎌倉唯一の国宝彫刻で、台座を含めた高さは約13.35m、重さは約121t。建造当初は大仏殿があったが、1495年(明応4年)の津波で流されてしまったという。正式名称は阿弥陀如来坐像といい、胎内の見学もできる。
鎌倉大仏
長谷から鎌倉・鶴岡八幡宮へ
長谷駅から江ノ電に乗り、最後は鎌倉駅へ向かうが、この区間は観光客がとても多い。車内は通勤電車のような混みようだが、みんな楽しそうだ。由比ヶ浜、和田義盛一族の墓がある和田塚を過ぎると鎌倉駅に到着。東口に出て二の鳥居をくぐり、鶴岡八幡宮の参道である段葛(だんかずら)を歩く。
桜並木の参道なので春はすごい人出だが、梅雨の時期は歩く人が少ない。西側のお店が並ぶ小町通りを行くのもよい。
段葛
段葛とは鎌倉のメインストリートである若宮大路の中央に復元された一段高い歩道。現在は若宮大路に面して店舗が並んでいるが、鎌倉時代は御家人の屋敷が並び、段葛に背を向けて塀をめぐらしていたという。
ここは防火線また防衛線で、和田義盛の乱である和田合戦では主戦場となった。
三の鳥居
三の鳥居をくぐり、右に源氏池、左に平家池を見ると、舞殿の左に紫陽花の花手水がある。ジメジメと蒸し暑いので青色が涼やかだ。
花手水
舞殿から石段を上がって本殿を参拝しよう。石段の左下には平成22年に倒れた樹齢1000年の大銀杏が残っている。源実朝を暗殺した公暁が隠れていた大銀杏である。
鶴岡八幡宮は京都の石清水八幡宮を由比に勧請したが始まりで、頼朝が現在の地に移し都の中心となった。
舞殿と本殿
鶴岡八幡宮から西へ10分ほど歩くと、横須賀線の線路沿いに実朝と母北条政子の墓がある寿福寺が建つ。
そこから10分ほど山道をハイキングすると、源頼朝が奥州合戦のときに白旗を立てて戦勝祈願したという源氏山で、アジサイを従えた頼朝像が迎えてくれる。
源頼朝像
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