明治から昭和にかけて、東海道線は日本の大動脈で、特急や急行列車が走り、東京発下関行きの普通列車も走っていたという。 もちろん蒸気機関車が客車を牽引する列車で、いったいどれくらいの時間かかったのだろうか。
昭和9年に丹那トンネルが完成すると、熱海から三島のルートが東海道線となり、こちらはローカル線に格下げされ、御殿場線となったのであった。 さらに、複線だった線路も戦時中の資材にするため、一線が撤去されて単線にされてしまった。
かつての繁栄から衰退へ、これほどまでに極端な線は他にはない。
山北駅前 |
御殿場線には往時を偲ばせる廃線で使われなくなったトンネルや橋脚がいくつも残っている。
御殿場線の主要な山北駅は、現在は桜の名所であり、線路沿いにソメイヨシノが約130本植えられ、春になると花見客で賑わいをみせるが、それをすぎると来春まで再び寂しい町に戻ってしまう。
4月初旬、山北の桜を見た後、沿線で最も山深い谷峨までの約4kmを、御殿場線の栄枯盛衰を感じながら線路沿いを歩いてみることにする。
山北駅のホームから |
御殿場線は相模湾に面した国府津から緩やかに登ってきて、山北から本格的に勾配が増す。 標高107mの山北から455mの御殿場へ、約350mもの急勾配を上がる必要がある。 蒸気機関車は勾配には弱いため、東海道線の時代には山北で機関車を増結、さらに客車や貨車を半分に分けて山を越えたそうだ。
駅構内は広く側線も多数あり、当時は300人もの職員がいた鉄道の町だったというが、現在は無人駅で閑散としている。 当時活躍した蒸気機関車D52が駅の片隅に保存されているので、これを見てから谷峨駅へ向けて出発する。
蒸気機関車D52 |
御殿場線の線路は切通しに敷かれ、両脇の高みの道路が桜並木になっている。 跨線橋からは桜越しに線路を見下ろすことができるので、一本列車を見送っていこう。
桜並木 |
桜を見ながら線路沿いを500mほど歩くと国道246号線に出て、御殿場線は箱根第一号トンネルに入る。 やがて国道と旧国道である県道に分かれ、県道を歩いていくと箱根第一号トンネルから出た線路がまたすぐ箱根第二号トンネルに入るのが見える。 山側のトンネルは架線が張られているが、手前の放置されたのが廃線トンネルだ。
ここから10分ほど歩くと、箱根第二号トンネルの出口で、その上には線守稲荷という名のJR東海の神社があるが、立入禁止となっている。
箱根第二号トンネル |
酒匂川第一橋梁を見て、川沿いを大きく半円状に歩くと、酒匂川第二橋梁が見えてきた。 橋脚の左側には鉄橋が架けられているが、右側には何もなく廃線跡と分かる。 古びたレンガのアーチ橋を思わせる橋脚は、明治34年に複線化された頃に造られたものらしい。
酒匂川第二橋梁 |
鉄橋を渡る列車を見送り、15分ほど歩くと谷峨駅に到着。 この駅は昭和22年、ローカル線に格下げ後にできたので、こじんまりとしている。 谷峨駅は山間の長閑な環境で、桜に覆われてなかなか景色のよいところだ。
谷峨駅 |
1時間に1本程度しかない列車を待って、次の駿河小山へ向かう。 駅構内にある金太郎桜は、見頃をすぎて葉桜になっている。 色が濃いのでソメイヨシノではなく早咲きの桜のようであった。
金太郎桜 |
●東京近郊のローカル線 |
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